広島の原爆投下について8月6日に再確認してみました

この記事を書いている本日は、2017年8月6日、広島の原爆記念日という事で広島に投下された原爆に関する歴史的事実を私自身が再確認する意味を込めて簡単ではありますが記事にしてまとめてみようと思います。

なお、参考にした資料は、広島市にある原爆資料館でもらえるパンフレットを素に私の言葉に変えてまとめさせてもらいました。

 

広島の原爆ドームの画像

 

今から72年前の1945年(昭和20年)の8月6日の真夏の月曜日の快晴の朝、午前8時15分、広島の中心地に原子爆弾が投下され、広島が世界で初めて原子爆弾による被害を受けました。

その三日後の1945年(昭和20年)の8月9日,11時02分に長崎にも原子爆弾が投下されました。

そして、1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争は終結しました。

 

広島の原爆投下時のキノコ雲の画像
画像:広島の原爆投下時のキノコ雲の画像

 

原子爆弾は、通常の火薬を使った爆弾よりもはるかに大きな破壊力を持った爆弾で、プルトニウムやウランが核分裂する際に発生するとてつもないエネルギーを利用した大量破壊兵器です。そしてさらに恐ろしいのは、核分裂する際に発生する中性子線やガンマ線などの放射線が長期に渡り人体に深刻な障害を与えるのだそうです。

原子爆弾は、市街地中心の約600メートル上空で閃光を放って炸裂しました。爆発の際の強烈な爆風と熱線により、爆心地から直径4キロメートルの建物は跡形もなく破壊し焼きつくしました。そして、爆風と熱線により多くの人々がなくなりました。

1945年(昭和20年)その年の12月末までの時点で約14万人の尊い命が失われたそうです。かろうじて生き残った人も、その後も放射線の影響による後障害により、多くの方がなくなり、今なお苦しんでいる被害者がおられます。

広島は原爆投下により焼け野原になりました。生き残った人々は、財産や家や職場を失いました。被爆、敗戦、占領下と混乱と大変化の中でも、広島の人々は生活、街の再建へと立ち向かったそうです。

この記事を書いている私自身は広島で実は育ちました。被爆都市で育ったということもありまして、戦争、原爆について小学校から高校までに毎年、原爆の日には学校に登校して核廃絶、そして、戦争は絶対してはいけないと教育されてきました。

そして、今もなお、私はそう思っております。

世界人類が平和でありますように。
m(_ _)m

 

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